ウェブマスター日記 2003

Diary 兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブ 関西学院ヨット部
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2003/12/31
今年も今日で終わり。今年を振り返って私の10大ニュースなど少しここにも書いたが、そのベースはやはり家内だなあ。「奥さんおきれいですね」と今年もお客さんから何度言われたことか。彼女のスマートでやさしい雰囲気がそういう印象を与えるのだろう。どんな目鼻立ちの整った人でもかもし出すものでそう見えないから。彼女の微笑みは最高です。「そうでしょう、私に不釣合いでしょ」と言うことにしているが、お世辞でそんなことないよと返してくれる。でも客観的に見て彼女の方がかなり上です。結婚を申し込んだ時、即答でOKもらった時は嬉しかったなあ。
彼女のおかげで、いい子達にも恵まれた。ゆったり育てられたからだろう、息子達の先生や友人の親からいつも誉められる。「いい子ですね」「上手に育てられましたね、ご家庭の雰囲気がわかりますよ」と、彼女と息子達のおかげで私の値打ちも倍以上になっているように思う。
うちの店員さんの結婚式で主賓になったことがあった。彼女は元保母さんで、接客姿勢がとてもやさしくお客さんに見初められたのだが、1番前のテーブルで新郎側主賓に続くスピーチで緊張した。なんとかスピーチをこなして座ろうとすると家内が涙を流していた。長男が小学校1年で運動会の選手宣誓をした時流した涙と同じだった。「自分で立候補して宣誓文を考えてみんなの前で披露して選ばれたのよ。私嬉しいの」とアイドルを見る目で長男の晴舞台を見ていた。女性にとっては旦那も子供も同じなんだ。女性の懐の深さを知った。
息子達は今年ますます自立してきた。まあ中学生になってから、みんな自分で決めるので楽だったが、今年は実験などで学校から帰ってこない日も増えたにもかかわらずクラブの成績を上げて、しかも飄々としている。我が子ながら教えられる。この父親だからしっかりしないとね。
次男も来年20才。息子達には女性を見る目を肥やして、お母さんのようなすばらしい女性と一緒になってほしい。姪が4月に結婚し兄が花嫁の父をし、次男がアルコールを飲むのをはじめて見てそんな年なんだと認識した。

2003/12/28
昨日27日関西学連ヨット部53年卒の集まりに出席した。今までこういう機会がなかったのだが、神戸商科の西川が呼びかけて実現した。彼は東京在住なので、元関西学連委員長神戸の狩野君が幹事を引き受けて、PM5〜がんこ曽根崎店、PM7〜市大OBの店「コクピット」に16名が集まった。ほとんど現役以来で、あまり変わっていないヤツから、おまえ誰やねんまでしたが、あだ名などで思い出した。
仕事の話・卒後のヨット活動の話・子供の話・ゴルフの話などが出たが、アキちゃんや娘の話などラック関係の話は盛り上がった。合宿中の息抜きはラックしかなかったのでみんな強く印象に残っているのだなあ。卒後練習を見に行く機会があると必ずラックに寄っていたが西宮YHが移転になり、ラックも閉店が多くなり、行きつけがなくなってさびしく感じる。
2年の時、淡輪全日本用にチャーターボートを西宮から大船団を組んで持っていった話題が出た。帰りは日が落ちて二色に入りみんな二色の各校艇庫に分宿した。夜中抜け出して何処かへ行ったやつもいた。船を買うために1年の時はクラブバイトばかりしていたという話も出た。「関学は恵まれている」と当時うらやましかったらしい。当たり前と思っていたことが、OB会がしっかりしていたおかげだと知った。改めて関係者みんなの総合力が成績に繋がると認識した。甲南漬け・関大のうさぎ跳び・浜での正座・灯台往復、何故か「近畿大学、おお近畿」この校歌のフレーズは全員知っていた。確かにレース毎に毎晩自校・他校の校歌・応援歌を聞いていたので覚えない方がおかしい。
追手門崎本君の息子がアテネオリンピック水泳代表に選ばれそうらしい。早稲田の2年で日本2位だから多分行けるだろうと言っていた。1位は今年ワールドで金メダルを2個取った誰だっけで同種目の代表枠は2つらしい。西宮のピープルスイミングから初めて全日本優勝、報徳・早稲田と進んだらしい。水泳の強豪中央や法政などから授業料免除で誘われたらしいが、あえて早稲田を受けたらしい。授業料を払うことになり親は・・・と言っていたが、特進ではないが報徳で勉強も1番だったらしく、こんなヤツをかっこいいと思ってしまう。すでにスポンサーがついているらしく、アメリカ遠征など面倒を見てくれているようだ。水泳はヨットよりかなりメジャーだなあ。アテネ代表になるといいな。オリンピックの中継で息子を応援する姿が映るかもしれない、多分映るだろう。和歌子ちゃんの応援に行く私とご一緒したりして。田畑家・崎本家と私、なんちゃって。
OPアジア選手権遠征チームのHPをアップすることになった。OP掲示板にチームからメッセージの書き込みがあるがHPの更新がない。田中監督に連絡とると、ホテルはワイヤレスBBなんだけど、時々なんちゃってBBになりストライキを起こすらしい。さらにHPサーバーにアクセスできないらしい。そこで、ネタを送ってもらい私がHPにアップしている。写真を見ていると寒い日本を脱出して暖かいインドで迎えるクリスマス・正月がうらやましい。

2003/12/24
幼稚園の同級生からクリスマスメールが届きました。幼稚園の同級生とはすごい、我ながらビックリ。大抵みんなに驚かれます。よくまあ続くものだ。西宮にある小さな(1学年15人)私立の幼稚園に3年間通っていたのですが、大阪・神戸から来る子もいて、みんな電車・バス通学でした。初日は園まで親がついてきて、次が降りるバス停まで、次が阪急西宮北口まで、次が最寄の電車の駅まで、次が家から1人という今では考えられない幼稚園児でした。胸に裏に住所が書いてある名札をつけ、首から電車とバスの定期をぶら下げ、機関車マークのついたバッグを背負った4才でした。西宮競輪のはずれ車券が駅に散乱していて、友達と拾い集めて帰るのが遅くなり捜索願を出されたこともあります。駅員と警察官が僕達を保護(車券拾いの邪魔)して、しばらくすると親が血相を変えて駅長室?に入ってきたのに子供ながらビックリしました。自分で帰れるのになんで怒られるの?いろいろ周りから誉められたり叱られたりしましたが、拾った箱に入れていた大量の車券を取り上げられたのが1番残念でした。ポケットに入れていた車券だけが残りました。ちゃんと電車の時刻表を見ながら、帰る電車がなくならないうちに帰る予定だったのに・・・自分では一人前の5才でした。
親たちも仲がよく、中学になるまで毎年同窓会をしていました。まあ子供を出汁に母親の井戸端会議なのでしょう。東京や九州の子がいて愛知県で同窓会など各地に行きました。さすがに中学になると自然休会になりましたが、教育熱心な親の集まりなので、同級生のほとんどが私立中学に通い、西宮北口で朝会うようになりました。各校文化祭に呼んだり呼ばれたりで、女子高や男子校に通っていたのでこれは楽しいものでした。ヨット部のスキーツアーや試乗会にもきてもらったことがあります。同級生も親に似てみんな教育熱心で、メール仲間6人の大学生になった子8人は、慶応2・早稲田1・東京・大阪・京都・医学部2に通っています。今年の10大ニュースで書いたサッカー小僧もこの仲間の子ですが、共通していることはゆったり育てていることです。進学塾に低学年から通わせているけれども、スポーツや趣味をのびのびさせて、本人の希望にはみんなyesと答えているようです。親が子供の希望に反対しないことで、親が引いたレールに無理に乗せられることがない自由があるかわりに、自分で人生をプロデュースしなければならないので自分の為に進んで勉強しているような気がする。その時期にしっかり勉強できる環境にいたことは親に感謝しないとね。この仲間と高校ヨット部の仲間が1番気楽に付き合え何でもしゃべれる。やはり育った環境が似ているからいろいろなことに対する考えが似ているのだろう。
最近ITの発達で、数ヶ月に1回メールリストに乗って便りが届きます。
おっと、クリスマスの話題でした。ほんの10数年前までは、ケーキ買って・・・プレゼント買って・・・ケーキにろうそく立てて・・・誰が火をつけるかで一騒動あって・・・クリスマスソング歌って・・・ろうそく消しで一悶着あって・・・「お父さんケーキ切って」「おとうさん僕のにイチゴ2つの乗せて」(お父さんの部分が重要。そう我が家は私が当番でした。こういう時旦那に花を持たせる家内はすばらしい、頭が上がりません)・・・僕こっちの大きい方がよかった・・・
いつのまにか天使から野郎に変身してしまい、やつらと歌うたってケーキ食べてる姿を想像するだけで鳥肌が立つ状態になってしまいました。女の子がいればいくつになっても天使だろうになあなんて思ってます。まあやつらも同様に思っているでしょう。「なんで親父とケーキ食べなあかんねん、あほらしい」
次男は相変わらず下宿から帰ってこず、年間自宅1泊2日×2の実績です。「お母さん喜ばせてやれよ」と明らかに様子の違う家内を見て思います。まあもっと大切な人が・・・怖くて下宿になんぞ行けません。散らかっていても・・・だし、きれいになっていても・・・です。長男もここ数年、この時期スキー一式とともに雲隠れします。家内はちゃんと何処にいるか知ってるようなのですが、20数年前の自分を振り返ると「何処行ってんの?」と家内に聞けない私はなんなんだろう。「あなたもそうだったんじゃないの?・・・」と反撃されると、そうです逃げ場がないんです。2人だけで「子はかすがい」がおらんのです。
ケーキ持って帰ったらダイエットに・・・、プレゼント持って帰るとセンスを・・・、私に花束は似合わんし、どうしたのと心配されるだけ・・・クリスマスは盛り上がりに欠けるけど、風呂にゆずが数個浮いている今日この頃です。

2003/12/22
寒波です。やっと来ました。やはり年末になるとスキー場に雪があることになりますね。数年前までなら、「よっしゃ」と年内に1日、そして正月はスキー場というパターンなのですが、正月ヨットというクレージーな生活に慣れてしまい、4WDの車も替えてしまったので雪山は遠くなりました。子供達もついてこなくなり、温泉ではすることないし・・・。
KGヨット部の新人勧誘看板・手渡しビラの原稿が網野君から送られて来ました。すばらしい出来です。私の撮った写真も使われていて役に立ってるぞ。今の倍くらいに増えたらみんな楽しいのにね。今週土曜日に関西学連ヨット同期会があります。神戸大学の幹事から連絡がありましたが、神戸8・近大7・KG7と同学年の多い代でした。同期が多いと横のつながりの楽しさが多かったような。
今年の10大ニュースその3。「関西学院中学部青島キャンプにヨット指導者として参加したこと」。中学の時盲腸の手術で青島キャンプに参加できなかったので、30年遅れの参加になりました。同窓の平野君は啓明学院の事務局として参加し、尾崎先生など懐かしい方に会えました。
この日記も2年続きました。夏休みの宿題以外でこんなに日記で続いたことはありません。大学で女の子と交換日記をしたのですが数ページしか続かず、やっぱりふられてしまいました。山下達郎の「クリスマスイブ」そのものの情景で毎年この時期有線でかかるので思い起こしてくれます。「わくわく通信」も含めると、かなりの量の文章を書いてきました。最近は慣れてさっさっと無理なく短時間で書けるようになり、文章量も増えてきました。
今週はクリスマスウィークです。ジュニアの親たちはケーキを買って歌を歌うのでしょう。我が家も女の子がいれば違うのでしょうが、大学生の男の子ではそのようなロイヤルナイトはもう望めません。息子に「クリスマスしよう」などと言われれば、彼の今後が不安かも?

2003/12/14
470・レーザーの2004NTが決まった。松永君・吉迫さんの同志社同期が男女で選ばれた。田畑さんも順当に選ばれた。昨日は海陽に行こうと思っていたが結膜炎のようで家にずっといた。どこにも行かなかった日は何時以来だろう。
そろそろ今年の10大ニュースが話題になる季節です。私にとってはやはりOP協会の打ち出した一連の日程に関することが一番でしょうか。元理事として協会に再考を求め、OP関係者に考えるたたき台になればと思い『学業とヨット』を発言しました。次男と一緒にOPやってた頃は日程で悩むことはなかったが、学校を犠牲にしないとナショナルチームにチャレンジできない日程には閉口した。学校に行けない発展途上国の子はたくさんいる。100年前は日本もそうだった。先人が将来の日本の為に、なんとか国民全員が食えるために、義務教育というシステムを作ってくれた。どんなにお金のない家庭の子でも学校にいける。今や文字の読めない日本人はいない。それを空気のように初めからあったもののように感謝せず、平気で学校を休ませる日程を打ち出すのにはついていけないものがある。
息子が始めた時、友達を誘ったがみんな「勉強と両立できるの?」と必ず質問された。友人達も中学受験者がほとんどで小学校・塾の勉強を第一に思っていて、両立できていると話しても勉強へのしわ寄せを心配していた。最近学力低下が叫ばれているのに公立学校5日になり、資源のない日本がますますグローバル化される世界で生き残れるのだろうかと心配になる。国内で横並びしていても意味がない時代だと思う。アジアはみんな日本を目標に勉強しているのに日本が先人の努力にあぐらをかき、今後も繁栄が続くと今さぼればすぐに追い抜かれる。「鉄は熱いうちに打て」という。人は無限の可能性を持っている。スポーツと学業は両立できるもので、両立できないだろうと親が思った時点でその子の可能性を小さくしている。子供は敏感に親の心の中を感じるので、自分自身で可能性を小さくするだろう。
私自身大学卒業後、別の学校行ったりいろんな資格をとった。「もっと勉強すればよかった」「ヨットしてよかった」と思ったが「もっとヨットすればよかった」とは思わなかった。同じように思った方は多いのではないだろうか。ヨットは勉強の替わりにするものではなく、TVの替わりのもの、余暇の替わりです。卓球の天才少女が話題になるが、毎年学校を長期休んで中国に行っているそうだが、得るものも多いと思うが失うものも多いと思う。スポーツで会社に入ったら、スポーツが楽しみでなくなり義務になってしまう。みんなと同じ基準で会社に入って、仕事をこなした上にスポーツをする方がかっこいい。大津さんのようにNTTで仕事をちゃんとした上で週末ヨット部で活動し、オリンピック選手になるのがかっこいい。「息子がサッカーの方がいいみたい」などごく普通のお父さんで、穏やかで気持ちいい。関学高等部に飛び込みの有名選手がセレクション入学を申し込んだことがあった。「学校で飛び込みを教えてもらわなくてもいい。遠征で相当数学校を休むが所属を関西学院にするので許可して欲しい」という条件だったらしい。高等部は他生徒にいい影響を及ぼさないときっぱり断ったらしい。品位のある判断だと思った。国際オリンピック委員会(IOC)の会長さんはヨット競技出身の弁護士と聞きます。こちらの方がバランスが取れてかっこいい。アメリカのプロバスヶやベースボール・アメリカンフットボールには、2つの競技でプロになったり、医者や弁護士もいる。元プロ選手の弁護士がエージェントとして最近活躍している。続々とプロ野球選手がアメリカに渡るのでよく耳にするようになった。
10大事件その2は、幼稚園の友達の息子が医学部とJリーグジェフ市原に合格したことだ。以前から彼女の息子が次男と同じ清風理V1学年下に通っているのは聞いていた。ジュニアからサッカーをしていて中学受験をした。中学ではお父さんと同じスキー部をしていたが、高校でサッカー部に入った。清風は受験校だがスポーツセレクションもあり、サッカー部は各ポジション1人づつ11人全員セレクションがいるらしく、監督から彼らをセレで大学入学させるためにレギュラーになるのは難しいと言われながら3年間やり遂げ、ジェフのプロテスト受験者でただ1人合格したらしい。父親が病院を経営していて自分も医者になる夢を持っており、両方成し遂げた。清風サッカー部は毎年大阪府予選ベスト4には残る強豪で練習は楽ではなく、毎日11時頃帰ってくるらしい。それから勉強している彼の努力はすばらしい。それにも増してすごいと思うのは両親だ。医学部は難関なので、「サッカーなんてやめろ。いいか医学部は難しいぞ、勉強一本でいかないと合格できないよ」と言う方が多いと思う。彼が高1の時お母さんと話したが、「サッカー好きだから、男の子は好きなこと思い切りしないと駄目でしょ」と笑顔で話していた。親の懐の深さと子供の意思を尊重する品位がすばらしい。教えられた。彼のことは30分番組でTV放映されたので録画した。
親が1つの才能を見つけてそれにまい進させることが可能性を小さくしているのではないだろうか。必要以上に親が介入しなければ子供は自由に羽ばたくような気がする。2つも3つも才能を開花させて笑顔で余裕のある人生を送る子が増えてほしい。私自身勉強とヨットについて深く考えた1年だった。私の子供に対する接し方が孫世代に影響する。私は子供であり孫であるが、親でありまだ見ぬ孫の祖父です。25歳で子供2人生まれると考えると、2代で孫4人に影響し、250年後の10代で1024人、500年後20代で105万人、750年後は11億人。

2003/12/13
先週は日記を休んだ。12月に入り、何かと忙しく・・・。470・レーザーの2004ナショナルチーム選考会が海陽YHで行われている。明日が最終日です。本日までの成績で470男子は、三部・関・松永・中村が上位にきている。なんと全員元Opti。松永君は息子がOptiを始めた頃のOptiスーパースターで琵琶湖jr出身、清風高校の先輩でもあり、このまま明日くずさなければ上位4チームに入りNT入りだ。がんばれー。
470女子は、兵庫jrOGの田畑さんが女子トップにいる。田畑・近藤・吉迫・高橋が上位で、これまた全員元Opti。上位2チームがNT入りだ。田畑さんは3年連続NT入りは固い情勢。高橋さんは息子と同学年なのでがんばって欲しいが苦しい。近藤さんはOPアセアンで一緒だった康史君のお姉さん、吉迫さんは和歌山で世話になってるし、うーん・・・。
レーザーのイアン君は現在5位、2位までがNTなので無理そうだけどがんばってる。終わったらまたお父さんにメールしよう。会話は日本語OKなのに文字はだめだからメールするのにいつも時間がかかる。ちゃんとした英文になってるか不安だけど、返事が返ってくるところをみるとなんとか通じているのでしょう。まあ気にせず書こう。
HPをクリスマスバージョンに変えた。画像やアイコンは無料のものを借りてくるだけなので作業はすぐだけど、その構成を考えるのに時間がかかる。あーでもない、こーでもないと結局2時間くらい試行錯誤したかな?ついでに年賀状も作ったので帰るのが午前様になってしまった。ほとんど息抜きだから疲れない。最近長男がhpのノートPCを持ち歩いている。やはり私のお古の95では時代遅れなのだろう。それにしても何処からネットにつなげているのかなあ?自宅はBBではないし・・・持ち歩いているということは学校か?研究室に自由にネットにつなげてもいい環境があるのだろうか?まあ落としてつぶさないように、盗難に会わないように祈ろう。

2003/11/30
琵琶湖の近畿北陸プレプレ学生選手権にお邪魔した。京都インフレータブルコーチボートに乗せてもらった。1回生女子マネージャーと1回生470息子艇クルー交代要員と3人で乗った。昨日からレースだったが、昨日は3レース・3m/s→0だったらしい。同時に関西新人戦も西宮で行われているがこちらは5〜7m/sで琵琶湖はほんとに風が弱い。
さてレース。風向がころころ変わり、アドバンテージがすぐになくなる。他艇とマーク・自艇の位置をいつも頭に置きながら、いい風をもらったら早めに順位確定に動かないといけない。昨日の様子を聞くと、彼は昨日息子と乗ったらしく、2マークまでトップだったのにいつのまにか前にたくさんいてどうなったのかわからなかったそうです。1レース目は上まではイーブンで最後左からブローが入りポートが上る。園田君ペアが下1(リコールすれすれ)から飛び出す。最初のタックポイントもいい。再び左に出すのが遅れて順位を落とすがなかなかいいところで回る。代わって左に出してきた入口君ペアが片手付近で回る。スピンアップに手間取る。ポールセットしてアップしたらブローチング、センターの入れすぎかな?先週ミーティングで言った「センター上げたほうがブローチングの危険が少ない」を体験してくれたかな。みんなボートスピードはいいようだ。フリーのパスレーンに乗っている艇が多く全体的に順位を上げる。でもまだスキッパーが後ろを見て、後続艇のブランケットや次の風の吹き出しを見れていない。フィニッシュ艇に近づき、次のレースにリセットするように伝える。風の変化に冷静にセッティングを変えること、スキッパーは常に冷静に。スピードが不満なら走り合わせしてトップスピードをもってレースに入る。フィニッシュ順位の良かった入口君ペアに拍手すると「いやー」とはにかんでいた。「センター上げてからスピン上げたら良かった」とミスをちゃんとわかっていた。すばらしい、わかってるじゃん。全艇にフリーのパスレーンのことを言う。
2レース目はもっと左海面有利になった。また入口君ペアがいい。風を予想する頭がいい。レース前のプラン通りなら最高です。スナイプが今回も全艇15までに回る。低いレーンでサイドまでのフリー走ってもボートスピードがありなかなか落ちない。サイド回航などでやさしさが出てしまうのか?脇が甘いけどベースの技術が出来ている。秋にいい練習が出来ているのでしょう。同志社今井君トップ、1上は4位?くらいだったけど2上トップに、さすがです。ちょうど琵琶湖jr練習からお父さんが走ってきて上マークで見ている前をトップ回航。フィニッシュ後「今井君やったね」「いやー、クルーとともにニコニコしている」。フィニッシュ後京都みんなに声をかける。さあリセット。スナイプゼネリコで470とフィニッシュが空いたが、レース委員会はスナイプだけショートさせた。これも多くレースするコツかと思った。選手をあそばせないように、というかレースを多く楽しむためにスピーディーな運営をしている。勉強になる。息子艇クルー交代。
3レース目、また左を予想して、園田ペアと神谷ペアがアウターにいる。ゼネリコ。風がなくなった。APかな?と予想したが、フラッグが上がる。うそー、本部船付近だけジブがシバーしている。スタート。本部船付近艇だけ出て行く。だんだん風が降りてくるがアウターまでなかなか。息子は風をもらいにタックするが先は遠い。トップ艇スピンが上がった。エエー、まだアウターにいる艇もあるよ。琵琶湖の恐ろしさを垣間見る。ここで鍛えられたら精神的に強くなるわ。スナイプは470を見て本部船よりに固まってスタート。1上ですでにスナイプに抜かれている470がいる。京都470は厳しい。フィニッシュまでにみんな上がってきた。そうあきらめない。Never give up! 今回もスナイプはいい。今日はトップ3校に勝ってるんじゃないの?みんなに声をかける。「さあリセット次だよ」私にみんな慣れてきたのか、コーチボート見つけて寄って来てくれるようになった。うれしい。みんな笑顔で、レースを楽しんでいるようだ。ウィークデーがんばったご褒美のヨットだから、笑顔がなくなったらいけない。レースでビリとっても笑顔を忘れないように。楽しいからチャレンジできる。チャレンジしての失敗が多いと結局失敗しなくなりいい成績が残るようになります。息子が「やばいと思って本部船に向かったけど行けん勝ったわ」「あれだけ風なくなったら行けないよね、よくリカバリーしたよ、半分より上まで上がったんじゃないの」。コーチボート手でつかんでレース後の会話。OP以来かな。これからみんなとこんな感じに気楽に会話できるようになろう。気楽な関係になれないとコーチは出来ない。コーチはアドバイザーでありヒントを与えることしか出来ません。それを生かすのは最前線・最先端にいる選手です。アドバイスを無視してもOKです。同志社小巻君が「こんにちは」と近づいてきた。「どうや」「このレース終わりました」と笑顔。「スタート、神谷と一緒のとこから出て、さらに沈しました」。えーこの風で沈、小巻君は相変わらず笑わしてくれます。大昔OPのチームレース下マーク回航で沈したのを思い出しました。あの時も親みんなで笑った。「風ないのに沈してるで。小巻ちゃうん」後で聞くと「僕がせんかったら梅野がしてた、僕にかぶさってきたもん」。風がなくなり昼食、そうだ、女子マネージャーも乗っているので、フルスピードで艇庫に帰りトイレ休憩。ちょうどレース前に帰ってこれた。松山君と交代させて女子クルーの幸長さんも連れて行ったほうが良かったかな。
4レース目。息子は中央からトップスタート、タックも決まった。アドバンテージあるうちに左に寄せる。いいコース引き。しかし予想以上に左が良くなってきた。バウ切れずに下タック。まあいいんじゃない。左があれほど良くなるとはね。西宮ならここまで振れないので、もっと伸ばしていたよね。琵琶湖にもまれて実力が上がっているようです。コーチは結果論から言葉する評論家ではないから。Goodです。中央からトップスタートして、スピードで抜けて行き、振れにあわせていい方に寄せて1上片手回航がシリーズ優勝の王道です。みんながんばって。470トップの選手におめでとうを言いに行く。金沢のライジャケ。「おめでとう、交通費取り戻したね」なんと立って「ありがとうございます」と返された。しっかり練習した君達が遠くから来てくれるから琵琶湖の選手達もレースを楽しめるんだ、ありがとう。レースは多い方が盛り上がる。相手が強い方がおもしろい。
5レース目。アウターから園田ペア、右が伸びている。アウター寄りの荒川ペアは早めに右へ返した。荒川ペアはさすがキャプテン、今日ずっとそつなくレースをこなしている。安定感は一番ではないか。さらに遅れて入口ペアが左に来る。これはやばいなあ。クルー交代要員には、もしスキッパーならどうする?とレース前のプランを毎回考えてもらいましたが、今回柴本君?は、「右海面がいいけど、スタートはアウターがいいので、アウターから出て早めにタックして右海面に行くプラン」。荒川ペアがアウター寄りから出てタックして右海面に行く。しかしバウ交わせず右集団の下タック。「プランどおりにズーと右海面にいけなかったね、4010どうかな?」「やってくれるはずです」とはっきり答えた。後で結果聞こうね。自分のプランが正解かどうか検証してその積み重ねが8月に花咲くよ。4回生で花咲くよ。スナイプのスタートに戻る。風が落ちてきた。プープープー、3回、ゼネリコかあ。いや本部船にN/Aが揚がっている。本部船に挨拶して帰る。470がスピンを上げて本部船に挨拶するために帰ってくる。息子のスピンが遠くで上がる。ということは途中経過はなかなか良かったのかな。園田ペア・入口ペアに「どうだった?」「やばかったですよ」「ノーレース、ラッキーやなあ、運も実力の内ってね」「エヘヘ」。
着艇後、運営に行っていたOBの方たちが帰ってくる。前キャプテン・監督さんと話す。次期監督さんとも話す。「息子が大変お世話になっています。これからもよろしくお願いします」。ミーティング後、柳ヶ崎YHに閉会式に行く。歩いていると琵琶湖jr西村さんと会う。3番目ピーちゃんがアセアン大会選手に選ばれたらしい。大御所秋山さんが監督らしい。一昨年のイタリアミラノでのOPレース監督が気に入ったのか?手を上げて頂いたようです。私がOP協会広報委員長時代に皆さんに呼びかけて実現できた大会だったので、秋山さんに気に入られてありがたい。といっても秋山さんも元OPパパか。私が1番上を引率したタイパタヤの近くらしい。今月10日かららしく、そのときの様子をいろいろ聞かれる。今井さん・曽和さんも混ざってしばらく話す。そのうち閉会式は終わり、バックして車に帰る。今日も楽しい1日だった。15才でヨット部に入って30年以上ヨットを楽しんでいる。ヨットに出会えてラッキーだった。
最近長男は朝早くからよく学校に行っている。帰ってくるのも遅い。実験大変なんだなあ?実験だよね?きっと実験だ、実験に違いない。そう思っておこう。4回生になると大変なんだなあ。家内に「幸成君来年どうするの?」「院だよ」「合格したの?」「とっくにしたよ、今ごろ何言ってるの」。そうか院に上がるのか。そういえば「幸君、院に上がりたいと言ってるんだけどいいよね」「いいよ」と以前家内と会話があったような。これだけ何も知らない私もどうかと思うが、親のアドバイスなんて子供の役に立つとは思わないし、先に死ぬので責任も持てない。自分でみんな決めてくださいな。自分にとって最高の選択になってるよ。2人とも自分で学校も学部も決めて、事後報告でした。基礎学力付けるためにできるだけのことはしてきました。基礎をしっかり勉強したので、自信もって自由な選択が気軽にできるはずです。大学生になれば親なんて生きてりゃOKでしょ。私は気楽に君達を応援するだけです。笑顔で楽しく生きてね。

2003/11/23
半年振りに息子から「ひまな時に練習見に来て」と連絡を受けた。半年ぶりに琵琶湖の艇庫にお邪魔する。8時出艇なので6時前に起きる。艇庫を訪れて「おはようございます」「ha-i,guest・・・」、後で聞いたのですがデンマーク人の新人が入っていた。地元でヨットに乗っていたらしい。代交替して新キャプテンは470の荒川さん。出艇前の体操、体操声だし係りが息子から1回生の女の子に変わっている。定刻に出艇、沖のレスキュー艇まで470で送ってもらう。470・6艇とスナイプ5艇が出艇、前回夏前にお邪魔した時は1回生がシーホッパー3艇に乗っていたがみんなクルーになっていた。OB3名加わっているようだけどやはりこれくらいの杯数で練習しないとうまくならないね。
はじめ1回生の松山君とレスキューに乗る。勝山出身・・・息子達が小学生時代まで正月は勝山のスキー場で過ごした。同じく1回生の幸長さんが交替で乗ってきた。彼女は姫路の賢明出身で、家内と同じ学校出身だ。塾にも行かずひたすら学校の先生頼って京都とは賢い。
午後から風がなくなり、昼食後長い風待ち。外ではサッカー、OBは大学女子駅伝・早慶ラグビー・高専ロボット大会などTV、何気ない会話に研究室でのテーマなどが入る。私にはチンプンカンプン。院に進む人が多く、4年でヨット終わりではなく落ち着いた雰囲気を作っているのだろう。慶応ラグビー部に元同級生がいるらしく、彼がTVでアップになるたびに会話が弾む。残念ながら早稲田に負ける。3時頃風が出てきたが結局練習中止。
ミーティングで気が付いたことを話す。みんな熱心で質問が多い。半年前ミーティングで話したことも試しているらしい。セーリングスタイルはそれぞれなので、いろいろなものをヒントに自分のスタイルを作って結果を出して欲しい。固定概念を持たずにスピード追求して楽しくレースできたらいい。昨日の強風でバングの使い方でスピードが違うことを見つけたようだ。私はどんどん締めるしか能がなかったので興味深い。反対に教えてもらおう。ウイニング470に載っていたネタで息子からの質問に「試したことがないのでわからない、試して教えて」と答えていたものだ。みんなで実験したようだ。息子は耐水ペーパーを持って乗っているようでみんなも興味を引いていた。この熱心さはきっと結果に結びつくだろう。最終目標に対する具体的数字とそのプロセスも話した。来週はレースらしいので、それに対することも書いて送ろう。今月は京都ヨット部イヤーブックに私の投稿が載った。三国での予選で編集長上田さんと観戦して頼まれ送ったものだ。改めて読み返してみるとテーマと少しずれているような?もうチョット時間かけて書いた方が良かったかな。
家に帰ってくると無造作に長男の3帝戦優勝表彰状とメダルがあった。2年連続ではないか?連休に大会があったらしい。試合に出るたびに賞状が増える。1回生の最初は弟の賞状のように額に入れていたが、こう毎回もらってくると慣れてしまいただ積み重ねているだけの状態だ。長男も試合大好き人間で全国を股にかけて飛び回っている。2人とも種目は違うが大学体育会所属なので上下関係など家では教えられないことを学んでいるだろう。社会に出て役立つのでありがたい。

2003/11/17
11/16ドラゴンレース初体験しました。龍の絵柄のボートを大人数で漕ぐのではありません。とてもあんなにしんどいことは出来ません。ドラゴンクラスに初めて乗りました。これぞヨットというきれいな姿にあこがれて30年やっと乗る機会がやってきました。風が強くなるという予想でドライを着込みました。渋川さんから説明を聞きながら艤装、まずジブセットでスピンシューターの穴に足を突っ込んでかすり傷・・・先が思いやられる。今日はポイントレースですが近くで艤装しているJ24から聞き覚えのある声・吉田さんだ。
ポンツーンでメインセットしていざ出艇。スキッパー河野さんが「意外に風があるなあ」スーっと動き出す。外から見ている以上にコクピットが深い。濃くぴとがYHを出るとSW6m/sくらい。重いジブをウインチで巻き込んでヒールが増す。赤灯台目指して一直線。「えーこんなにヒールするの」。赤灯台を回って、本部船到着。チョット練習する?タック・ジャイブを数回。タックでのジブ・スピン関係のバウデッキ担当なのでこの風では力仕事です。
第1レーススタート。上1からジャスト。ドラゴン参加艇は1艇のみ、他は5艇のJ24、スイングに和歌山の兵頭さんが乗っている。イーブンな走りで平走するがJが高さを上がってくる。「この風だとJの方がのぼりがいいんだよね」こらえきれずタック。タックが大変なのでそのまま伸ばして、たら目でタック。上マークが12時近くにある。かなりのぼれるようだ。それにしてもリーサイドデッキを洗う程ヒールして走っている。それでも失速するような感じでなく前に出る。大きなディンギーのような姿だけど、やっぱりキールボートだ。上マークをJ2艇を従えて回る。スピンシートを持っていたが、スピンアップと同時に強烈な風圧、アフター外をカムしてスピンシートもカム。手にもってトリムは日本人には無理。渋川さんから、「スピンのつぶれはスキッパーの腕だよ、河野お願い」「うーん、確かに」。さあ、ジャイブ。ブームを返して、バウデッキによじ登る。470で何百回もしたスピンポール返し。最後のマストセットが風圧で思うように行かない。力なくなってるなあ。「ゆっくりでいいぞ、落ち着いて」の渋川さんの声。1艇抜かれて、最後のJも迫ってくる。巻き取っていたジブを出して、スピンダウン。シューターなのでこれは楽。下マーク手前で水がない旨河野さんがコール。しかしボートスピードが違いぐんぐん内側に迫る。マークにあわせてラフすると衝突大破の可能性あり。相手艇はマークの上に避けた。よしラフ。ジブのウインチで奮闘後Jを見るとマークを通り過ぎてあさっての方向に行っている。そのまま伸ばして足らない目でタック。そのままフィニッシュ。
ジブをファーラーしてのんびりスタートに戻る。関学幹部交代式が3時からあるので、次のレースで帰ることにして、本部船に報告渋川さん「次で帰るわ」「了解、次で止めます」、こっちの都合に向こうがあわせるの?Jはもっとやりたいんじゃないの?
第2レーススタート。スタート1分前くらいまでジブはファーリングして走るのが普通らしい。最後のタックタイミングが遅れて、フルセールでもラインに届かず、遅れ上1、即タック。マーク9:30で「もうレグの残りが余りありません」タックしたら、河野さん「上マーク何処?」、ジブウインチしながらセールの下から覗くと、「すいません、オーバー、12時より下です」「OK、あった。ジブそのくらいでいいわ」。西に風が振ったようで、Jのトップ艇とあまり差がない。3位回航。「河野うまいなあ」。西に振ったのでジャイブのタイミングが早く来る。でも内側にスターボのJ2艇。「ジャイブして内側に切り込む腕はこのチームではないので、内側艇のジャイブを待とう」というコール。内側艇と同時ジャイブ。バウデッキに飛んでいくが、またポールのマストセットで力のなさが露呈、「河野ちょっと落としたってくれ」。やっとセットしてコクピットに帰り、スピンシート担当に復帰して他艇を見ると、「あらだいぶやられてる。しかも後ろにまで抜かれてビリになってる。すんません」。そのままフィニッシュ。
「スキッパー交代、神谷交代しよか、クローズ走ってもいいぞ」。ヒールを立てた方が速いかな?と思い、メイン緩めでクローズ。シートつめてヒールオーバークローズ、意外にウエザーヘルムを強く感じない。よくわからないがキールの復元力に任せて、メインガンガン・ヒールオーバーの方が速いらしい。赤灯台回ってジブ巻いてのんびりランニング。ポンツーン手前でラフしてメイン降ろし惰性で着岸。楽しい異次元セーリング終了。
でかいセールとボートを潮出しして1時間遅れで代交代・選手コーチ監督慰労会会場KGYC御用達「白鳥」到着・・・延々と夜はふけていった・・・。ところでKG新キャプテンに渋川君着任、がんばってね。

2003/11/3
西宮でのインカレが終わりました。11/1・2と応援に行きました。元Opti父母も来られたので旧交を深めました。暖かな陽気でとてもいい気分の海上でしたが、西宮に珍しく4日間とも微風でした。気合を入れてきた選手には少し気の毒な気もしますが、さすがに強豪校はコンスタントに成績を上げて、例年同様の上位校の顔ぶれになりました。
11/1、福岡の甲山さんとご一緒しましたが」、慶応に入った娘さんが2位を引きました。11/2広島の佐藤さんの息子はトップ、名古屋の荒川さんの息子もトップとみんな親孝行していました。特に荒川さんは2人の息子さんの下がこれで大学ヨット部を卒業ですが、初めて大学のレースを海上から見たそうです。お父さん・お母さん・お姉さん・お姉さんの旦那の応援の力か?下1スタートからどんどんバウを出していき、タックして前艇のバウを切って行き、1マークからトップの横綱相撲を披露しました。すばらしいの一言です。皆さん、気持ちよくお帰りになったでしょう。

2003/10/26
関西学院ヨット部艇庫に、HPに載せるヨット部歴史のネタ探しに行きました。OB会ロッカーから資料を引き出してきてコツコツと・・・KGレスキューにフラッグが上がっています。今日は全日本前で出艇禁止なのに揚げてる・・・フラッグがボロボロにならないかな?ディンギーヤードにチャーターボートを多数出して学生がチェックしている。でもKG選手はいない、おかしいな?聞くと土曜日にチャーターボートのチェックを終えたようで今日は休みらしい。
沖を見ると、ブルースピンが4艇。同志社が練習しているようだ。小巻君・今井君もいるのだろう。今は琵琶湖で活躍しているが兵庫ジュニアで育った小巻君・豊田君には地元でいい成績を残して欲しい。来週は元Optiの選手が多数西宮に来るので親も来る。観覧船を出すので来られた方と久しぶりに話せるのが楽しみだ。
今日はOP全日本最終日。インターネットで成績を見ると兵庫jrから5人最終選考会に残ったようだ。昨年はゼロだったから大躍進だ。来年の選考会でも活躍して久しぶりにナショナルチームを出して欲しい。

2003/10/19
朝から関学ヨット部へ。インカレまでの最後の練習なので、上がりがいなければ海上へ、いれば過去資料収集しよう。着いてすぐ「上がり出来ますか?」坂東さん・河野さんも来られたので、松原コーチと上がりをする。松原君は午前中に用事で帰らなければならない。まだ子供が小さいこの世代はいろいろ大変だ。私も子供が小学生になってヨットを始めるまでは海と疎遠になっていた。
午後から関大・近大・阪大と合同レース練習。杯数の多いいい練習が出来た。
インカレ前の25日から30日まで出艇禁止だそうだ。地元は準備で仕方ないのだろうが、他地域選手は事前練習で風の特性を知りたいだろう。誰かが準備で練習できないから他の人も練習してはいけないというのは変な平等ではないかなあ。整備に時間をかける選手・練習に海に出る選手・学業優先で大会期間中しか現地に来ない選手、それぞれあっていいと思う。事前練習を重要に思っているチームはそれより前に一度現地入りする。今日まで立命館が来ていた。一度帰ってまた来るので費用がかえってかかるのではないだろうか。
全日本がチャーターボート性になり、開催地域に多く負担がかかり、開催出来る場所が限られるようになった。参加校費用負担の軽減に繋がるということで採用されたようだが、本気で全日本優勝を狙っている学校は事前練習などで自艇を持ってくるので負担増になっているのではないかな。せっかく1年間自分の使いやすいように改良してきた自艇で学生最後のレースに臨めないのは不本意ではないかな。このシステムがレース直前6日間もの出艇禁止に繋がっているとも考えられる。大変重要なレース直前の数日間を自由に使ってよりレベルを高めてほしいです。関学はもちろん厳しい予選を勝ち抜いた参加校全てが悔いのないレースをして欲しい。

2003/10/13
関西インカレで母校関西学院大学ヨット部が総合優勝しました。総合優勝は10年ぶりくらいです。470は2位に大差をつけて優勝、スナイプは4位でした。
三原監督がブルーサブで頭から波をかぶり続け、携帯電話がアウトになるコンディションの中、波乱の幕開けになりました。1日目は北の強風で沈艇多数の状況だったようで、470合野君が他を圧倒する走りで3レーストップフィニッシュ(1レースはトップで沈して7位)。沈しても7位という結果を見ても海面が想像できます。1・2フィニッシュするなど伝統の強風の関学の強みを発揮しましたが、それ以上に関大が走りました。近大は4レース目に痛恨の2艇DNFで出遅れました。近年精彩を欠いていた甲南470が良く走りましたが、1レース目でいきなり2艇OCSをしてしまいました。スナイプも関大が走り、近大を抑えてトップ。4レース終了で470・2位、スナイプ4位、総合3位。関大が両クラストップで完全優勝を狙う勢いです。
2日目は海上で観戦しました。時よりカッパのいらないくらいの雨が降る曇り空、昨日同様北風でしたが風は収まり、ブロー6m/s、アベレージ4m/sから夕方にかけて少しづつ落ちていきました。470今日の主役はKGでした。トップ関大は7レース目で1位・5位の2艇がOCSで大きく崩し、近大にも勢いがありません。KGは1日目同様4レース3艇トータル約100点とコンスタントにまとめ、一気に2位関大に約50点差をつけました。スナイプは、近大がいきなり1・2・3フィニッシュし勢いに乗り、4レーストータル50点で抜け出しました。関大・KGが150点ともたつく中、阪大が100点にまとめ3艇揃った確実な走りを見せました。
3日目最終日、三原監督からの連絡によると、NからWへのシフトの大きな強弱のある非常に難しい海面だったそうです。470は2日間コンスタントに走り1位を固めてきましたが、この難しい風の中確実にシフトに合わせてすばらしい走りを見せました。2レース3艇トータル18点にまとめ、最終レースに大たたきをしてしまった関大に100点以上の大差をつけて優勝しました。終わってみれば、合野君の5回トップを筆頭に、佐々木君・竹本くんもトップを引き、個人成績でも1・2・7位という強さを見せました。スナイプは、市大が40点、阪大・KG・近大が50点、関大70点の最終日でした。スナイプもKGチームは2レースともトップを引き、この日はKGデイでした。
そしてついに最終日、逆転で総合優勝しました。近年三原監督が中心になってリクルートにも力を入れ、春合宿で六甲山縦走を年を考えず?現役に付き合い翌日仕事を休んで病院通いするコーチ陣の熱心さに、2人の4回生キャプテン中島君・vice佐々木君がチームをまとめた結果だと思います。中島君・佐々木君おめでとう。New KGの予感がします。
2週間後のこのチームでの最終レースでも、すばらしい結果を願っています。
一時の部員不足を脱した関大が年々力をつけ、両クラス完全制覇の勢いでした。特に1日目の強風でトップだったことはすばらしいことです。同じく甲南も復活してきました。スナイプは部員不足で3艇エントリーできませんでしたが、470が1レース目の2艇OCSから挽回しての4位はさすがです。しかし神戸が470に1艇エントリーはさびしい気がしました。来年は復活してほしいものです。
今年の全日本インカレは地元開催ですので、各クラス上位4校が出場権を獲得しました。関大・近大・KGが両クラス、加えて470が甲南、スナイプが阪大です。地元の利を生かして関西旋風を起こしてくれるでしょう。

2003/10/12
全日本シーズンです。OPは全日本会場の小戸と江ノ島小沢杯に同時2チーム遠征しています。1日の日帰りの方もおられ大変熱心です。琵琶湖の時は事前練習に行きましたが、福岡や江ノ島まで行きませんでした。ここ数年全日本40位に入っていないので今年はがんばって欲しいです。最近にレース結果をみると普通にすれば数人は40位に入るでしょう。
西宮は、関西インカレ2日目です。1年間の総決算のチームもあれば、全日本への通過点と考えているチームもあります。ツインスターから見ていましたが、渋川君の固いコース引きと合野君のスピードが目に付きました。竹本くんと吉村さんは通過点と考えているようで、OCSを気にしているのかスタートが消極的で1線から出ていないようだ。佐々木君がトップを引いたのが1番うれしかった。今日は北風でアウターから出て左からののぼりブローを使って1上2位回航がすぐにトップ艇を上突破し、落ち着いたレース運びで差を広げました。8レース目も下1スタートで再度トップの目がありましたが、左からのベアブローを待ったのでしょう?そのまま突っ込みすぎて駄目でした。トップスタートしたのだからまずは1上片手確保のために1度中央に寄せていればよかったですね。でも積極的な失敗なので多くを学んだでしょう。とてもいい1日になったんじゃないかなあ。風が落ちてくるとスナイプの艇速が伸びない。明らかなスピード負けで艇差を感じる。新艇購入時にメーカーを考えた方がいいと思った。2日目8レース(全10レース)終わって、470・1位、スナイプ4位で予選通過は間違いないようだ。総合で関大487・近大496・KG497・大阪628と他を圧倒して3校が争っている。最終レースで1〜3が逆転する展開です。

2003/10/5
西尾先生が幼稚園運動会参加のため午前中いないので、今日は伊丹瑞ヶ池でヨット教室の手伝い。朝7時に目がさめる。早すぎるな、もう一眠り・・・あら、8:30回ってる、大変。慌てて駆けつけると、神戸から小林さんが来られて、ご父兄の方と用意していた。助かった。今日はマークを打ってレースをする。モータードライブがなくなったので、運営の機動力に欠ける。出来れば再度購入して、親御さんが自由に乗ってマーク打ちなどの運営に参加されるといいのになと思う。小1の小さな子供さんも楽しそうに乗っていた。少しづつヨットが好きになればいいね。
金曜晩、河野さんからドラゴンレースの誘いを受けた。ちょうどこの日で参加できなかったが、とても残念。ドラゴンは乗ったことがないのでどんなヨットなのか体験してみたかった。でも次の機会はあるだろう。またお願いします。来週は関西インカレです。最後の追い込み練習で気合が入っていただろうな。次はレース観戦をしよう。さらに3週間後、西宮で全日本インカレ、各地から元Optiが集まってくるので楽しみだ。そういえば週の初めに仲野さんから「どっか安く泊まれるとこないですか?」と連絡が入る。西宮観光協会と以前紹介した旅館を紹介する。どこもなかったらうちに泊まってもいいよと伝える。貸し布団を用意すれば、誰も使っていないので気兼ねなく泊まれる。電気・水道が出るか心配だったので確認するとOKだった。もう少し西宮に近かったらいいのに・・・

2003/9/26
KGHPの歴史ページを充実するために艇庫に行った。KGYC50年史は済んだので、OB会ロッカーから同志社YC50年史を出してきて半日PCに打ち込んだ。毎年の全日本上位がちゃんと整理されており、誰が保存しているのだろう?クラブで成績を保存するシステムが出来ているのだろうか?と感心した。学生の頃は、自分のノートに自分のことは書いたが今やそのノートもどこに行ったのか?捨てないので家のどこかにあるだろうが・・・さらにもらった賞状やカップもみんな艇庫に置きっぱなしにしたので行方不明。こんな性格なので、大昔のレースの点数まで残っているのにビックリした。
今日は女子インカレで部員が少なくAMは3人も上がりをしている。PMは海上に出ることにして470を1艇増やした。近大・関大と合同レース練習でNから6〜8、ブロー10〜m/sが入り強風練習になった。
芦屋YHからレーザーもどきが出てきて、練習海面付近で沈をして本部船の横を流れて、長時間立たず沖の砂利船の方に流れていく。気にはとめていたがレーザーが回りに2艇おり、レースの方を見ていた。本部船のkinkiに呼ばれ、見に行く事にする。沈起こしになれておらず、レーザーに比べてビームが足らないので不安定だ。バウにアンカーを打つ用意をしようと思ったが、小さ目のアンカーがない、さらにラインもないのでマークのラインをはずして用意する。まだ砂利船までは余裕があるのでkinkiにアンカーがあるか聞きに行く。「私が乗って帰りますわ」とkinkiからコーチが乗ってくる。再び現場に行くと、レーザー乗りが飛び込んで沈を起こし、自艇に戻り3艇で帰る様子。「何とか帰れますから」の言葉を聞きレスキューをやめる。しばらく帆走を見ていたが、「ハイクアウトしない、ラダーが上がっている、ティラーが上下逆に入っている(エクステンションがラダーの下から出ている」を見て、無理じゃないかなと思ったが、レース海面の戻る。しばらくして見ると案の定また沈をしている。見に行くと、1艇ディスマストしてレーザー乗りが乗っている、レーザーは沈。砂利船に近く、防波堤にもあまり余裕がない。「やばー」再びkinkiから乗員を乗せ、再度現場急行。レーザーが砂利船の横に沈したままくっついている。乗員はいるか?いた、よかった。砂利船にもぐる感じはない、しばらくすると流されて砂利船から離れるだろう。流されて防波堤と余裕がないベアハル艇に行き、ラインをバウに結びアンカーを打ち、これ以上防波堤に近づくのを食い止める。レーザーが砂利船から離れたのでkinkiコーチを降ろしてセーリングで帰ってもらう。ベアハル艇は電話で芦屋YHにレスキューを求めたそうで、インフレータブルが来たので任せてレース海面に帰る。砂利船にくっついたレーザーは傷ついただろう、でも下に入らなくて良かった、そしてみんな怪我もなく幸いだった。
反省:最初の時に強制的にスキッパーを近大コーチに交代したらよかった。レスキュー備品として、ライン・小型アンカー・ライジャケが備わっていなかった。冬場に予備で積む服のことも含めてミーティングで話した。

2003/9/21
今週末はKG主催海徳メモリアルレースでした。今年からOP・SRも参加です。日曜日PMに勉強会があったのでレースへは不参加予定でした。しかし土曜日の運営が足らない・・・という声が聞こえてきて、土曜日だけ参加しました。担当は上マーク・サイドマーク設置、1上マーク・下マーク回航記録です。初めてブルーサブをドライブしました。4気筒エンジンが静かに快調に吹き上がり、スピードが出てうれしくなる。あいにくの雨でしたが、雨粒で目が開けられないくらいにぶっ飛ばしました。北・4〜7m/sで適当に触れ・強弱が入り楽しそうなレースです。
しかし台風の影響か雨が降って気温が下がり、私はカッパを着ていたので良かったのですが、同船したKGコーチが短パンで寒そうでした。昼頃、リタイヤして一時YHに帰り着込んで再度出てきました。弁当・お茶を持ってOP・SR海面に行きましたが、雨の中屋根のない船で運営は大変がんばっていました。選手も海上昼食でレース終了までがんばったようです。風邪ひかないように。
和歌山から渡辺/山田組が来ており、翌日の12m/s〜含めて全レーストップでした。スナイプは岡/小林組がワールドの面目を保って優勝しました。
日曜日は朝から事務仕事、PMは大阪に勉強会。勉強会はなかなか良かった。この商品は売れそうです。まず自分で試してから仕入れてみよう。帰ってきてから、11:30までまた仕事、今日はよく働きました。

2003/9/14
KGwebにクラブの歴史を載せようと思い、艇庫にネタを探しに行った。ヨット部25年史・50年史というのがあって参考にしよう。他大学の同じような冊子があり興味深く読ませてもらった。
昨日より京産大が関大と合同練習しているそうだ。今年の西宮全日本に向けてレギュラー8艇が関大・近大艇庫に宿泊し、艇をレンタルしているそうです。午後関大から合同レース練習の誘いがありレスキューで沖に出ました。いい風で今の実力を測るいい練習になりました。このような合同練習や合同合宿を多くすると交流が深まり平常心でレースに臨めます。声をかけていただき関大さんありがとう。個人的には元兵庫jr豊田君の走りを久しぶりに身近に見れ楽しい1日でした。
兵庫jrは今日、OP全日本のクラブ枠予選です。昨年に続き詩帆ちゃんが選ばれました。今年も大所帯の8名で全日本にチャレンジです。がんばって。

2003/9/7
今日は仕事で京都駅前のぱるるに行った。朝から夕方まで勉強でずっと座っていた。講師の話は面白く結構為になった。京都はさすがに外人が多い。えーとビックリするような美人から・・・の方まで、30分くらい見ていた。どこかの軽音楽部だろうか?駅3Fで演奏をしていた。階段状の席があり、ここで無料コンサートをよくしているんだろうなあ。たまに伊丹から都会に出ると見聞を広めておかないと世の中に遅れる。京都駅から1時間かからず伊丹に帰る。なんと近い。嫁さんと電車+市内観光バスで京都見物を今度しよう。
さてPCを開けると、インカレ個選のレポートが届いていた。早速KGYCwebsiteにアップする。梅野特派員来年も出ろよ。
家に帰ると次男が京都から帰ってきていた。数日前、インカレ団体選予選の翌日テントと寝袋を取りに正月以来帰ってきたが、それを戻しに来たようだ。多分明日には京都に帰るのだろう。9月は学校が休みだから、新チームの初練習かなあ。彼はこの数日ヨットでの琵琶湖周航をしたようだ。1・2年中心にヨットで琵琶湖を巡り、上級生が陸上サポート隊をすると去年聞いた。京都OBのHPに先月私が生まれた頃の琵琶湖周航写真などで特集を組まれていた。説明を読むと、食料から寝るものまでみんな船に積んだようだ。オーバーナイトもしたようだし、沈したらどうするのと思い、さらにライジャケもなしに無茶するなあ。もう琵琶湖周航の歌は歌わないのだろうが何年続いているのだろう?そういえばこの歌は誰が作ったのだろう。肝心の周航している学生とは全く関係ないのではないだろうか?息子は歌の存在自体知っているのだろうか?

2003/8/31
息子のインカレ予選に福井県三国まで応援に行きました。東尋坊から見ました。セッティングが出ないと困っていたので心配していましたが、とてもいいスピードが出ていました。風の強弱・振れが大きく成績は不本意だったでしょうが、乗っていて楽しいだろう、そしていずれ成績はついてくるだろうと思いました。全日本に行けませんでしたがレース後ニコニコ楽しそうにしていました。船が速いので気持ちに余裕があるのでしょう。兵庫jr出身の子達も楽しそうにしていました。京都OB・西村先生・同志社前監督にも会え楽しい1日でした。

2003/8/24
KGHPの打ち合わせでKG艇庫に行きました。HPの今後の方針を決め正式にGOサインが出ました。初代webmasterを私がすることになりました。2年下の島野君も来ましたが、倍近くに大きくなっていました。ちょうど上殿さんの新艇が最終フィッティングを終えゲストバースに停泊中なので見学に行きました。29ノット出るそうで、長崎ハウステンボスまで長期回航も速そうです。同じ桟橋で体験セーリングをしておりOB数人が手伝っていました。別の桟橋のツインスターでは別のOBが宴会&セーリングをしています。午後、レスキューから現役の練習を見ました。OBOGが多数集まり、現役とレース練習をしていました。南西6〜7m/sの典型的な夏の午後で乗りたかったですが乗りの用意をしていなかったので残念でした。梅野が久しぶりにスキッパーをしていました。ドラゴンのレースから河野さん渋川さんが帰ってきました。成績はどうだったのだろう。

2003/8/17-20
出身校のKG中の海洋冒険キャンプにヨット指導者として、花崎さん・坂東さん・渋川さん・河野さんと参加しました。学校が持っている牛窓の島(青島)キャンプは私が中学生の時から続いています。全員がこのキャンプを経験するのですが、私はちょうど出発の日に熱が40℃に上がり参加できませんでした。虫垂炎で入院して手術しました。同窓会があるといつも青島キャンプの話が出るのですが、経験していないので残念に思っていました。今回神様の導きか?花崎先輩からの話で参加できることになり35年遅れの青島キャンプです。
OPを14艇所有しており、生徒の手作り艇も有り値打ちものでした。おかしな艤装がたくさん有り直しました。KG中の川副先生が熱心でコツコツと私のを真似て全艇直されました。あのような方がおられたらメンテナンスは万全だな。
1日レース日を設けました。島の前は水深30mなので、10mくらいのところに全艇を曳航しました。この曳航方法もバウラインが短いなど問題点が多かったですが、前日に全部直していたのでスムーズにできました。生徒に混じって、大学生リーダーや先生(校長先生まで)も参加して楽しんでいただけましたが、トップ3は生徒でした。
KG中責任者の奥村先生が写真入りの表彰状や賞品を用意され、機転の効く対応で生徒は喜んでいました。賞品の生徒予想は「干物」でしたが、もっとすばらしい物が用意されていました。
今回は、KG系列校の啓明学院の生徒も参加していましたが、KGから移られて校長をしている尾崎先生も来られていました。啓明女子生徒が沈をした時、飛び込まれたのには驚きましたが、相変わらずの熱血で頼もしかったでしょうし、先生の人柄も偲ばれました。
中1の歴史の授業で1年間リンカーンを取り上げられ、歴史を通して黒人・白人の別のない平等を教えられ、今後の生き方を教えてくれました。一昨年、先生が啓明に移るとき「尾崎先生を励ます会」を私の学年がしました。1学年180人しかいないのに、80名程集まりました。人望をあらためて認識しました。その時の最後に「ここに来られていない同窓生にこそ声をかけよう。こんなご時世で参加しにくい友人がいるかもしれない。でもそんなことでは変わらない友達でいて欲しい。今日はありがとう」と先生が言われました。それを思い出しました。

2003/8/10
KGwebsiteを作ることになった。クラブの写真を撮るためにKG艇庫に行くと、末永さんがおられ、今日はTwinStarから写真を写すことにする。京大冨江さんも来られている。KGフェンシング部とアイススケート部の先輩と花崎さん・福岡さんと一緒に機走で、470・スナイプ関西選手権を見た後、セーリングで大阪沖に出る。天気もよく3m/sくらいの風で、ゲストにはちょうどいいクルージング日和です。
アイススケートの先輩は近大病院の事務局長らしく、幼稚園同級生渡辺さんの息子が近大に入ったので聞いてみると、彼はジェフ市川のプロテストも合格したので、有名らしくご存知だった。世間は狭い。
往路は2番目に若い冨江さんがスキッパーで、復路は一番若い私がしました。先輩方は酒にあてを食べながら昼寝をされるかた・・・楽しい1日でした。現役レーサー福岡さんは先のA級全日本で勝てなかったので悔しそうでした。スピンを上げようと言われましたが、「面倒や、やめとこ」の一言で却下されました。スピンはあるようですが一度も使ったことがないそうです。
来週の関学中学部キャンプのヨット講習のことを花崎さんに聞くと、「用意しとってや、頼むで」の一言でした。手伝えばいいのだろうと安易に考えていましたが、しっかり準備していかないと先輩に恥をかかせてしまいます。夜の「海・船に関するお話」のネタを集めよう・・・。

2003/8/3
関学ヨット部で上がりをしてきました。濱永さんと河野さんが来られスナイプに乗られました。来週蒲郡であるスナイプマスターズに出場されるのでその練習です。パリパリのニューセールの初乗りでしたが、午前練習の最後の5m/sの風で海上休憩、午後は明日の仕事に備え解装でした。来週がんばってください。
午前練習の最後に470ナショナルチームのSPNスポンサーの福岡大学OBチームが出てきました。クローズでのメイントリムが遠目でもわかるほど大きなものでした。さらに午後からも海上におり、合同練習を申し込み、ロング帆走練習+関大を含めたレース練習をしました。フリーのスピードが明らかに違いました。現役選手には一緒に練習することで陸上で声をかけられるようになり、何かを得て欲しいです。
西日本医科大学選手権が開催されていましたが、かなりのロングコースで、1日2〜3レースのゆったりなものでした。
芦屋の花火大会で西宮YH付近は混むので早めに引き上げ、阪神中日戦をTV観戦しながら、花火の音だけ聞きました。

2003/7/27
幼稚園の同窓生と会いました。親同士が仲がよく小学生時代から同窓会が不定期で続いています。全員で1学年15人くらいしかおらず当時では珍しく3年間保育で、神戸から大阪までの子が西宮の山の上まで電車バス通学していました。最初数回親と幼稚園玄関まで、次は阪急西宮北口バス停まで、次は自宅から1人で通わなければいけませんでした。定期を首からぶら下げて、住所電話番号の書いた名札を胸につけて通いました。へびが正門前の階段にいて泣いたことや、友達と西宮北口で競輪の車券を大量に拾って、親に捜索願を出されたりいろいろなことがありましたが、おかげで強くなりました。
私以外お母さんなので子供の話題になりました。幼稚園からサッカーを始めた子がいました。昨年末高3でジェフ市川プロテストに合格し、今年医学部合格し悩んだ末ジェフを断ったそうです。医学部志望なので、ジェフからはジェフ御用達の順天堂大学医学部受験を薦められたそうです。周りも学校を数年休んでプロを薦めたそうですが・・・。アメリカなどでは、バスケットと野球のプロとか、プロスポーツ選手で弁護士などよく聞きますが日本では一途が美談になり、2足のわらじが中途半端と受け取られ少し残念です。彼は学校終了後練習で毎日夜11時に帰ってきていたそうです。高校サッカー(正月)大阪予選準決勝で敗れたそうで、高校サッカー全国大会決勝がセンターテスト初日と重なるようで、そこまではサッカーをする予定だったそうです。どこで勉強していたのだろうと思いますがやってたんですね。
こんな子の話を身近に聞く(次男と同じ清風中高)と子供の無限の可能性を感じます。小さい頃はサッカークラブの遠征について行き大変だったそうですが、子供の好きなようにやらせたんだろうなと思います。そんな感じのお母さんです。
無意識に自分の器の大きさから判断する基準で子供の行動に制限を加えているのではないかと自問自答するいい機会でした。振り返ると、小さい頃の夢は、今の生活環境や親の仕事、それにかかる費用など考えずに純粋だったように思います。だんだん成長して夢も変わりますが、影響力の大きい親から「できるわけないやろ」「おまえはばかだな」などと言われたら、一気に夢がしぼむとともにやる気もうせてしまいます。子供の可能性を信じて淡々とサポートする親でいようと思いました。

2003/7/20
和歌山の島精機カップに行きました。OPと470のレースです。OPはイタリア選手が参加しました。470はアトランタオリンピックゴールドメダリストのブラスラベッツ/マトビエンコ組(ウクライナ)が参加し、470ナショナルチームも多数参加しました。女子NTの息子と同学年兵庫jrOGの田畑さんや高橋礼子さんも参加し楽しい1日でした。海上には出ず和歌山jrの藤永先生から最近の大学生気質をいろいろ聞きました。

2003/7/13
OP関西選手権(芦屋)に参加しました。今回はBG伊丹の主催です。関西で活動しているのは、琵琶湖・和歌山・兵庫・伊丹の4クラブなので、昨年(兵庫主催)に引き続きの連続開催です。昨年は強風シリーズになりましたが、今年は2日間3〜6m/sで8レース消化できました。13日は朝から雨で、福山・広島・和歌山・なごやの父母と関西ヨットクラブレストラン(元大阪城天守閣の双眼鏡設置)から観戦、というか食事しながら歓談しました。夕方帰ってきた選手・役員を見ると寒そうで、かぜを引かなければいいがと思いました。遠く関東からも参戦いただいてありがたい。お帰りに気をつけて・・・

2003/7/6
琵琶湖シーラカンスレガッタ(学連OB戦)に参加しました。各校スナイプ1で11大学参加しました。他にA級が6艇で、来週のA級全日本(葉山)目指して最終チェック?年1回のチェック?のようです。朝KKRホテルにつくと寝巻きの先輩方やすでに乗れる服装に着替えているやる気満々の方がロビーに下りて来ておられました。天候は小雨で比叡山・湖上ともにモヤで「風吹くの?」状態でした。コーヒー後スナイプの艤装をしましたが、河野さんがドライバー・プライヤー等工具一式を持ってきておられました。おっと黒球をメインピークに付けるのを忘れた。これがないと沈したときに湖底にマストが刺さります。
早々と陸上でAP旗が揚がりました。京都のハイテクA級が話題で皆さんあそこがどうのこうのと格好の風待ちネタになっています。ヨーロッパからの輸入艇で、セールもオランダのニューセール、ティラーロープじゃなくもちろんエクステンション付き。デジタルコンパスまでついていますが、はたして使える乗り手がいるのか・・・。
一向に吹き出しそうもない風に痺れを切らしたのか?濱永さん河野さん組がスナイプで練習しに行った。すると後から続々と出艇して行きます。先輩が用意した?KG観覧船に交代要員で乗るように言われましたが、どうも今回は京都OBがメイン運営のようで本部船で運営をすることにしました。しばらく湖上で漂って、11:30ノーレースになりました。昼食後、早い閉会式をしているといい風が入ってきました。じゃんけんで着順を決めることになり、河野さんが優勝しました。

2003/6/29
西宮のプレインカレに参加した。風が変わった時の打ち変えマーク・副本部船担当です。上マークの右に張り付いて置くように指示されるが、スタートが見られないのでヒマ+つまらない。交代要員も積んでいるので毎レースフィニッシュ直後スタートラインに戻る。風速から考えて、2上でしかマーク変更しないだろう。2レース目にマーク変更指示があり、マーク設置・M旗・回航順位の仕事をしたが、それ以外はなし、3・4レース目はスタートも見ることが出来た。関大がとても走っている。これからインカレ予選10月までまだまだ強くなりそうだ。やっぱり人数が多いと競争も激しいので自然に強くなるなあ。
2レース目、OBのドラゴンとA級3艇が出てきた。レース観戦半分と再来週のA級全日本に向けての練習のようだ。葉山沖がレース海面のようで沖風が吹かなければいいがと願う。

2003/6/22
今日もKGYCにお邪魔した。470スキッパーしたかったのですが現役が、お休みがおり12人なので上がりがおらずAMは名古屋から新幹線で駆けつけた新人OBと2人で上がりをした。実家は岐阜と言うことだったのでヨット部の為だけに新幹線を使って・・・すごいな。私は卒業した時東京勤務だったので1度もクラブに行けませんでした。
PMはOBが1人増えたので470に乗りました。先週のレースでスピードが出ないと言っていた艇だった。艤装の時ジブハリブロックがキスをしてテンションが上がらないと言っていたのを思い出し、ステップを中央に1つ下げました。ジブハリテンションが出て、好きなちょっと後傾になりました。いつも不満に思っているブライダルを一番下げてもギリギリでこれ以上倒せません。チューニングの幅が狭くなるブライダルはいらないなあ。本当にこんなに中央にブームを入れる必要があるのだろうか?いろいろ試してみたいけど試せない。世界はシートタイプが主流のようだけど・・・。
現役の頃、フランス・イギリスなどの470の雑誌が艇庫に有り、写真を見ているだけでも参考になりメカニカルの470を変えるのが楽しかった。4回生になり上級生たちがセールメーカーなどから情報を仕入れていたのがわかり、そのまま最新情報を仕入れられたが、そこまでにした上級生の努力に感謝したものだ。
今日の練習では最初ルーズにセットした時が一番ましで、スピードでアドバンテージを取ろうと、アウトホール・ジブリーダー・バングなどいろいろ動かしたが反対によくなかった。この微妙に変わるのが470のステキなところです。帰りの車で、ジブリーダーを緩めて、テンションの抜ける分プラーを入れたらどうだっただろうと思った。海上で思いつかないところがさび付いたかな・・・。
ラウンディングマークでスタートは本部船側からばかり出た。1回上のデンジャラスを割って失敗したがまあまあかな。2・3位ばかりでビリにはならなかったけど、私のマーク変更確認ミスでトップを逃したのがくやしい。クルーはタックと言ってたのに悪いことをした。レースは楽しい。また行こう。
小巻さんからの連絡でOPに新人木村さんが見学後早速入部したらしい。他に入部しそうな方が来られたそうだ。兵庫jrHPでまた新人GET’s、よっしゃ〜。

2003/6/15
先週久しぶりのレースが楽しかったので、470のスキッパーしたいなと思いKGにお邪魔しました。高等部のヨット部員がいたので「おかしいな、今日はインターハイ予選が宮津であるのでは?1人は腕にギブスをしています」。
ちょうどポイントレース+女子インカレ関西予選で運営艇のドライバーが足らずKGレスキューで上マーク担当をしました。西宮のは珍しく1日中風がなく、微風の中ポイントレース1+女子インカレ2をやっとすることが出来ました。3時間ほど海上待ちがあり選手・運営みんな大変でした。特に女子インカレは1レース目スナイプでフィニッシュできた艇が1艇(他はDNF)のみで困った状況でした。夕方風が入ってきた時にはホッとしました。それも上マークでコース短縮しました。
2つ気づいたことがありました。
そのレース後ろの方は関大1年生?470・スナイプばかりでしたが、ヨットに乗り始めて2ヶ月で微風とはいえちゃんと走ってくるのにビックリし、明らかな判断ミスでフィニッシュ手前で着順を落としたりしていましたが、真剣で楽しそうな女の子選手を見ていると、1年生からレースに出ることが関大の最近の部員増につながっていると感じました。
もう1つはKGレスキュースクリュー付近の大量の貝付着です。エンジンを2000回転に上げても以前のようなスピードが出ず艇体がぶれます。おかしいなと思い、スクリューを上げるとビッチリ。現役時代監督に船を大事にするように言われ、監督がレスキューに乗る度、バケツとモップできれいにしていたのを思い出しました。ボートフックでこすると気持ちよく落ち風待ちのいい暇つぶしになりました。多分船底にも付いているんだろうかわいそうに。ヨットの整備が少し心配になりました。そういえば同じ代のレスキュー係りが熱心で、出艇のない時や昼休みに船底掃除の為にもぐったことを思い出しました。結構楽しかったし、船に愛情を注ぐとヨットも速くなると思います。

2003/6/8
午後琵琶湖jrにお邪魔しました。ちょうど指導者OPレースが始まるところで私も参加させられました。というより嫌いじゃないので参加しました。トップ・6位・ブービー予想を各人し、的中者は豪華景品がもらえます。親の優勝予想は元OP協会理事長松永さん・滋賀県連理事長山田さんが本命・対抗で、私も松永さんにしました。選手(本当のOP選手/子供)の1番人気はなんと私でした。
どんな艇に当たるのかなあ、ゲストだから新しい船かな?甘い、午前中にOPで練習しているくらいの気合の入れようの親選手は、前もって交渉していたのか皆さんどんどん出艇していく。脇弟君の艇になる。小学生向けのセールで浅いので、深くセットしてパワーを出さないといけないな。N、1〜2m/s。参加15艇ほど。
レース海面に向かいながら、さらにスタートまでスピードアップのためチューニングをいろいろ試しましたがどうも駄目です。本命松永さんにどうも走り負けします。タックのスピードロスを解消すべくタック練習をするがちょうど本部船横で落水して笑いを買う。他のレース艇からは「大丈夫?」の声がかかる。こうなればギリギリのジャストスタートで行こう。後ろ走るよりスタートのアドバンテージを生かせばOCSでも着順だけはいいかな?お祭りレースだから多少のリコールはセーフだろう。スタート前、左右海面の差がなさそうなので中央から出てシフトに合わせることにする。スタート2分前から高くとめると、「リコールだよ」「出てるんじゃない」と他艇から声がかかる。平気・平気、GO!。ブーブーブー、号砲3発、「なんとゼネリコ」。琵琶湖jrは甘くなかった。本気でスタートを取っている。しかも他艇も負けじと上がってくる。親も本気や。さらに「あんたが先導した」と他艇から非難ごうごう。
スタートを少し自重することにする。今度は左海面がよさそうなのでアウター寄りから出ることにする。オールクリア、いいスタートが切れた。アウター艇団にはあまり速い人はいない、私とどんぐり。予想通り左の方が風がいい、バウを出した下1艇がタック、それに合わせて下2がタック、バウを切られる。本来なら下タックなのだろうが、艇速が伸びないのでもう少し左に伸ばす。上マーク2:30もう限界、タック。ポートは何故か良く走る、セール形状を見るが何故速いかわからない。先行していた下1艇に追いついていく、しかも右海面に行った艇は終わっている、やはり風が弱いようだ。む、む、うそやろ、ベアが入る、スピードが落ちてきた。アスターンを抜けていった上艇は走っている、タック、もう一度左の風を取りにいく。多分トップ艇だろう1艇にバウを切られて次の2艇のバウでタックする。さあ得意のポートだ、走ってくれよ。さっきバウを切られたリーバウ艇に追いついていく、2人は無言のポートでの走り合い、とうとう上突破、「あー、走らん」相手艇からギブアップの声が漏れた。さらにそのリーバウ艇も上突破して1上トップが見えてきた。10艇身ほどのショートタックを入れてトップ回航。5艇身開いて県連山田艇、その後ろは大きく遅れている。OP元理事長は右に行ったのかかなり後方。しかしフリーは山田艇が速い、サイドマークの中間で追いつかれる。あえて下を空けて「お先にどうぞ」、前に行かれてからブランケットをかける、ブランケットミスすると艇速差でどんどん前に行かれるので細かく風見を見上げてブランケットラインを読む。2〜3回前に行かれては追いつきを繰り返し、サイドマークは2位でほぼ同時に回る、風が良く振っている、ブランケットラインを気にしながら山田艇と離れないようにする、こちらを気にするだけで相手の艇速は落ちる。3位のドイルセール進君が追いついてきた。下マークは水を取って1位回航、山田艇も差なく回航、山田艇のラインを消すために少しのぼり気味に走る、我慢できずタック、「やった、まだ早いでしょう、フリー艇団に突っ込むよ」。少し空けてタックし山田艇を大きく抑える位置に置く。やはりフリー艇団の乱れた風で艇速が落ちている。下回航後ポートで伸ばしているドイル進君にターゲットを変える。艇速のアドバンテージがないので苦しい。大きく抑えるタックを繰り返して順位は保つが差は縮まっていく。最後フィニッシュ手前のポートの走りあいでほぼ追いつかれる。タックしてきたスターボ進君の前をかろうじて切るがやばい。本部船激突コースでタックが必要、これは負けパターンだが、本部船ギリギリでタック、沈を恐れてロールをミスった・・・同時フィニッシュ、なんとか勝ったようだ。
スピードを何とかしないと厳しい。2レース目までの間、チューニングを繰り返す、松永さんも練習に余念がない。1レース目のポートでつかんだ感覚を頼りにいろいろ変える、だんだん良くなってきた。遠めで松永艇に合わせて走るが感じがいい。山田艇にもアドバンテージがある感じ、よっしゃー。
2レース目。スピードアドバンテージがあるので余裕が出る。真中から出るかな、さっき左が良かったのでアウター寄り1/3でリコールしないように少し低めにとめる。あまりアウターに来ないようだ、ラッキー。下2から今井艇がトップスタート、スピードも上りもいい、下1を上突破して上ってくる、スタート時が高さがあったのにリーバウにつかれる。苦しい、でも今タックしたら終わる、その時風が落ちてきた、今井艇ののぼりが落ちてきた、バウを落として前に出て行く、さすがうまい、定石どおりタックして私のバウを切り、集団を押さえに行く。少し走って今井艇が気にならない位置でタック、さあポート勝負。左の有利さも手伝って今井艇の並行位置までバウが出てきた。完全にスピード勝ちで、右海面は今回も終わっている、山田艇・ドイル艇は右にいるようだ。遅れているがさらに左に行ったポート艇が走っている、右から返してきたスターボトップ集団のはるか前でタックしもう一度左の風を取りにいく。ポート集団の前でタック、会心のコース、スピードもありルンルン気分になってきた。1上トップ、今度は20艇身は差があるかな?2位以下もトップはあきらめるだろう。まっすぐ走っているだけで差が広がり断トツフィニッシュ。
2レースでレース終了、改めてセールセットの大切さを知る。レース中外野からは「そこでタック・・・、セールが甘い・・・」、OP西日本のBクラスレースのようでした。琵琶湖jrの皆さん、楽しいレースをありがとうございました。
ここで前を走らないと、明日からの指導の言葉に信頼性がなくなると、皆さん本気でした。道場破りをしてしまい申し訳ない結果でした。

1レース目トップ争い(前が私)、追いつかれてしまいました

本部船、運営のほとんどは本来の選手

2レース目スタート。左より3艇目が私です。この後よく走り1位フィニッシュでした。

2003/6/1
息子の大学ヨット部の練習に参加しました。時間もちゃんと守られ体育会としてのけじめもありました。昨年女子マネージャーが折った全日本予選の活躍を願った千羽鶴が飾られ、食事作りやレスキュー艇運転に女子マネージャーが大車輪でした。1年生はシーホッパーに交代で乗っていました。いい風の中、みんな楽しそうに乗っており、ミーティングでは誕生日のマネージャーに花束が贈られ、息子の笑顔のヨットも見れて、気持ちのいい1日を過ごせました。

2003/5/25
関々同立定期戦が関大主催で、新西宮YHであった。梅野・小巻さんと観戦を計画する。琵琶湖の親御さんも誘うことにする。
AM7時にYHに着く。着替えをしていると小巻さんが到着。KG艇庫に行くと、横で同志社が荷物を置いてなにやら準備したり着替えたり・・・。まず関大大会事務局でKGOBの顔?で昨日の成績表をもらう。「3レースしかしていない」、昨日4時頃YHライブカメラにアクセスしてみたところではヨットがかなりのスピードで走っていたので、5レースは消化していると予想していたのに・・・聞いてみると風がかなり振れたことと、470が3回もゼネリコしたからだそうだ。ブラック上げても出たそうで、気合の入り方が違うのでしょう。
同志社今井君・小巻君・西村君、関学梅野君、立命仲野君・中川君みんないる。少し離れて手を振る。気づいて会釈。学連独特の雰囲気を知っているし各クラブの規律もあり少し気を使う。
仲野照美さんが手を振ってくれた。お父さんお母さんも来てくれている。KG艇庫前の小巻艇を見に行く。クゥワンタムのラジアルという珍しいセールだ。同志社監督の堤さんが来て一通りレクチャー・・・この人も元Opti、470コーチの松永君も元Opti、小さい頃から1人乗りで言い訳の効かないところで鍛えられてきた元Opti選手の気持ちがわかるのだろうなあ。以前の同志社では考えられなかった、1年からスキッパーを小巻は去年から、今年はもっと進んで実力のあるものからレギュラーになるようで、1年スキッパーの今井君が全レース出場している。
8時になり各校ミーティング+気合を入れて出艇・・・聞いているだけで気持ちいい、長年ここ世界にいたので染み付いてしまったのか過去がよみがえる。初めてレギュラークルーになって出艇した時、聞こえなくなるまで浜から私の名を呼んで応援してくれるのを聞き涙が出てきたな・・・。
艇庫前の椅子に座っていると、横に女の子の2人連れ・・・「マネージャーですか?」「はい同志社の1回生・2回生です。遠征は4回生のマネージャーがメンバーで私たちは別行動です。今井さんが船に乗せてくれるそうで楽しみに待っています」「それ、私達が用意している兵庫jrの船です。9:30に来ますから少し待っててね。神谷といいます。小巻はどうですか?小巻の裏話ない?小巻は兵庫jr出身でうちの子も琵琶湖の学連で470乗ってるんですよ」「小巻さんには良くしてもらっています」「やさいい?」「はい。あの〜息子さんは京都ですか?」「はい」「わーお父さんだ。息子さんにそっくり。レースレセプションなどで話したことがあります。息子さん色がしろいですね。お母さんが美人と聞いています」「よくそんなことしってるね。美人だよ。なぜうちに来たのかわからないよ」。4回生マネージャーを加えて歓談・・・。
芦屋から船が回ってきて、今井さん+マネージャー2+梅野さん+小巻さん+私乗艇。北東〜東の5m/sいい風が吹いている。470は同志社3に関大1がからむ。この風では立命はあまり走ってこない。スナイプは仲野・中川の立命がトップに来る。Opti上がりはさすがに強い。
470先頭集団はみんなマーク間違いをしたらしい。「同じ色のマークだけど、向こうのは1と書いてあり、数字旗1を掲げたボートが風上にいるでしょう。こちらには3と書いてあります。白三角に赤日の丸が数字旗1」・・・「470旗は何の合図か知ってる?」「4分前にはどんな旗が上がる?」・・・みんな知ってる。ヨット未経験の1年女子マネージャーが知ってる。恐るべし同志社。
昼食+トイレの為に昼YHに上がる。仲野さんたちが昼食している関西ヨットクラブ3Fレストランに行く。3Fの望遠鏡をはじめて見たがセールナンバーまで見える、これは便利。再び海上に出てレース観戦。8m/sを伺う風になると今井君のスピードに誰も付いていけない。アビームのスピンランが速いのでサイドマークでダントツぎみになり、あとは差が広がるばかり。
「ヨットっていいですね。お父さんたちが応援に来るのは素敵ですよ」って本日のゲストに言われてしまった。

2003/5/18
伊丹瑞ヶ池ヨット教室と伊丹市?がしている「みらい21」(週休2日制対策?)という事業の瑞ヶ池ヨットに参加した。両方とも西尾先生がチーフで資料も用意されお一人で大変だ。ご苦労様です。ヨット教室に田中家・奥村家・西尾家が家族参加でお手伝い。OPの他にトッパーも出して、クラブ員にはこちらの方が人気があった。田中家・西尾家は塾の合間を縫った参加でう〜ん大変。でもそれでもヨットに乗りたいと駆けつけてくるヨットの魅力はすばらしい。きっと息子と同じように大学生になってもヨットに乗っているだろう。
あいにくの微風(1〜2m/s)だったが、新人にはちょうどいい風だった。鈴原小学校の子達がみらい21に参加したが、楽しいらしくずっとヨットに乗っていました。気持ちよさそうに走っていたが、風上に上ることがあまり出来ず、終了の3時頃には風下の対岸付近をうろうろしていた。ここから風上の桟橋に帰ってくるのはヨット初体験の子達には大変で、ボートで応援に行き、ジグザグに風上に走ることを教え、ボートで先導した。「ついておいで」にちゃんと反応し、しっかりついてこれた。かなり上手です。
潮君と美咲ちゃんがOPに乗った。美咲ちゃんは初めて乗るのか?朝からウキウキのようです。将志君の一緒に乗り上手に走っていました。潮君はあまり乗っていないと思うのですが、お兄ちゃんたちを良く見ているからでしょうか?一人でとても上手に乗っています。まっすぐ安定して何処でも自由に走り、セールが遊んでいることもなくかなりセンスがあるのではないかな。本格的に練習したらいいのに・・・海では乗りたがらないのに池では安心なのか?ヨット教室の時に池でしばらく遊んでいるのもいいかなと思いました。

2003/5/17
今日はOP協会理事会。全日本日程が決まるでしょう。中間テストにかからない日程になるといいです。冬休みのNT選考合宿・NT選考レースも回避できたらいいと思っています。中学受験・高校受験の追い込み時期で、勉強を一生懸命している選手にとってつらい選択を迫ることになります。息子がOpti時代は春休みNT選考レースで問題なかったけど・・・。従来の日程を変える場合はアンケートなどで広く選手父母の意見を聞いて参考にしたほうがいいように思うなあ。
明日は瑞ヶ池ヨット教室。見に行こう。池を1周回って見学している人にパンフレットを配り、HP用写真を撮ろう。

2003/5/11
関西学院大学ヨット部ファミリーデイに参加しました。OB総会が午前中あったが、会計承認など・・・不得手な分野でパスした。若手OBが幼稚園小学生連れできていたので、昨夜作った兵庫jr勧誘パンフレットを配りまくった。先輩方にはお孫さん向けに・・・。後輩の笠井君のお嬢さん梨加ちゃんがOptiに乗って参加してくれた。海上でもデモンストレーションかっこよかった。さらに参加者紹介で若手OBから、「数年後にはOptiに乗っています」という言葉が聞けうれしかったよ。
新レスキューボートの進水式があった。「BLUE SUB」、どこかで聞いた名前だと思ったら、現役の時にあったスナイプだった。そのスナイプの1代目スキッパーで命名者河野さんが命名のエピソードを話された。私が2回生の時のキャプテンですが、クラブは全国総合優勝、学業トップ卒業で、尊敬していました。ずっと東京勤務だったがこちらに帰ってこられたそうです。OBレースでご一緒できそうで楽しみです。


2003/5/4

久しぶりに息子のセーリング

同志社/小巻君
琵琶湖に息子のレースを見に行った。彼の大学のOB観覧船に乗せてもらった。海上から見るのは2年ぶり。
連休中の渋滞が気になり、朝早く柳ケ崎YHに着いた。そこにちょうど息子が自転車で現れた。大学艇庫から直接出艇するようで、出艇フラッグなどの確認担当だそうです。近くにいた社会人の速い人を交え、いろいろ2時間近く話しましたが、約束時間を過ぎてもOB観覧船は現れません。息子に電話連絡が入り「すでに出艇した」、どうやら桟橋を間違えていたようです。でもすぐ帰ってきてくれ無事乗船することが出来ましたました。息子が桟橋までついてきて、もやいを取って、「父を頼みます・・・」と心の中で言っていたのかな?だんだんこんな親子関係になってきたんだな・・・、息子の成長を感じうれしい。
OB3人、足を怪我してレースに出れない3回生、女子マネージャー2人、1回生2人乗っていました。名刺を皆さんに渡し自己紹介すると、マネージャーから「えっ、神谷君のお父さん・・・神谷君尊敬してます・・・」。尊敬されるような息子か?と思いましたが、こんなかわいらしい子に言われると、かなりうれしい。名刺の息子の写真を見て、「もっと小さい頃の写真を見たいな」とリクエストを受ける。うーん、今使っている名刺ソフトは片面2枚までしか写真が入れられない。私の写真をはずしたら、誰の名刺かわからなくなるし、家内のは絶対にはずせないし・・・。
女子マネージャーが8人いるらしい。それも2回生ばかり。2回生の選手は息子を含めて3人。何かおかしくない?息子の魅力で8人も美女が集まってきたのかな?3回生の皆さん、入部案内を女の子ばかりに配ったんじゃないの?今年の新人勧誘はかなり集まったらしい。主力の2回生ががんばったんだな。いや、マネージャーのビ・ビ・ビーに集まったのでしょう。
息子のクラブでの今年の目標は「時間厳守」だそうです。なんとなくわかる、マイペースだからなあ。
レース中は近づけないので、1眼レフを持っていってよかった。双眼鏡もかなり重宝した。小巻はじめ元兵庫jr+清風先後輩、多くの子達に会えてよかった。みんなに挨拶したがすぐにわかってくれた。
夕方、琵琶湖北湖で開催されている全国少年少女に行った。砂浜出艇ですぐ目の前がOPBクラスレース海面。兵庫お母さん方が波打ち際から双眼鏡片手に応援。西尾父から母に遠くのAクラスのレース結果が随時メールで流れてくるらしい。「ラブラブ」と皆さんうらやましそう。萌ちゃんが初抗議、一緒に抗議書を書き、プロテストで緊張するだろうから、どんなことをするのか教えてあげる、「そら行け」。相手艇が失格になる。最後相手の子と握手して別れる。これからいっぱい経験するよ。これはゲームだからね。
その後、2003OP福岡全日本事務局を頼まれたので、AM3時まで福岡・OP協会と話し合う。事務局どうしようかな?

2003/4/25
OP協会から、2003事務局をお願いできないかと連絡があった。買っていただいたのはありがたいが、福岡は国際レース・ビッグレース経験が豊富で「なぜ私が・・・私は邪魔になるのでは・・・」が正直な気持ちです。全日本3回連続+ナショナルチーム最終選考会事務局となんか事務局スペシャリストになっちゃった。大きな問題がある。それは、10/23-26という日程。学校に2日もかかる。中間試験とかかる選手がいるのではないだろうか?例年どおり11月連休なら、1日しかかからないのでそちらを選択した方がいいのではないかなあ?中間テストにかかる日程の大会事務局はしたくない。やっぱり義務教育期間は学業優先でしょ。世界には勉強できない子もたくさんいるのに、日本という恵まれた国に生まれて勉強の大切さを忘れてしまっているのではないのかなあ?事務局するかどうか慎重に考えよう。

2003/4/20
KGヨット部に久しぶりに行く。4月の新人勧誘の時期も日曜日は練習をしているといううわさでしたが、PMは勧誘らしい。AM新人が3人(女子2人は経験者)練習に来ている。元サッカー水泳部の加藤君はトラピーズで1回転している(大昔私もしたなあ)。初沈も経験していた。途中で梅野と交代してレスキューに乗ってきたが、平気そうで安心した。ヨット部に入ってくれるといいな。
PMは新人勧誘試乗会。20数年ぶりに見学する。新レスキューブルーサブ+470・2艇でトラピーズに乗る風が吹いている。気持ちいいだろうなと思う反面、初めてトラピーズに乗ったときは、怖かったなあと昔を思い出す。その後着替えて「たこ焼きパーティー」、アットホームな雰囲気ができてとてもいいアイデアだと思う。最後に新キャプテンの「ありがとう挨拶」。これがまたいい。3年間のヨット部生活でこんなに心を打つ挨拶が出来るようになるんだ。伝統にある体育会はすばらしいなと改めて思う。息子たち2人も体育会なので、こんな風に育っているんだろうな。

2003/4/7
兵庫jrB&G伊丹年次総会/バーベキュー花見で一杯に参加しました。昨日までの雨が上がり、絶好のお花見日和になりました。午前中に春〜秋ヨット教室1回目がありました。朝一番に行くと沖桟橋のアンカーが切れており慌てて皆さんで固定しました。昼から新入会希望の前川さんが来られ、お母さんがヨット経験者と言うことでお母さんが気持ちよさそうにOPに乗られました。幼稚園の息子さんは池からサメが出てきたら大変?と思ったのか乗りませんでした。まだまだ先は長いので、ゆっくり少しずつ乗られたらいいですね。バーベキューでおなかが膨らんだ選手たちは私服でOPに乗りに行きました。池の周りは花見の方でいっぱいで注目度No1、西尾先生がヨット教室へのお誘いを精力的にしていました。教室を母体に伊丹で活動するB&G伊丹ヨットクラブが復活したらいいな。

2003/4/2
3/30朝一番に芦屋YHに行き、兵庫オープンの開会式に参加しました。この日は姪の結婚式だったので自宅にトンボ帰りして新大阪の式場に急行しました。長男の車に乗って行きましたが、とうとう息子の運転する車に乗るようになったか・・・と、姪の結婚式ということはもうすぐ息子も結婚する年になったのだなあ・・・代変わりの1/4世紀をなんとか乗り越えてきたということです。
しばらく見なかった姪はきれいになっておりビックリ・・・息子2人も小さい頃から一緒に遊んでいた従兄弟がきれいになっているのでうれしそうでした。かわるがわる姪の隣に立ってまるでカップルのようにニコニコしてカメラに収まっていました。私はビデオ係で合計1時間以上ビデオをまわしていました。でも食い気には勝てず、合間を見て料理をガツガツ食べました。息子たちにデジカメを渡していましたが、130枚以上スマートメディア一杯まで撮りきっていました。
甥つまり結婚した姪の弟が次男にそっくりでビックリしました。こんなに似ていたかなあ?この2人は1学年違うが同じ大学に行っている。聞いてみるとどちらも学食で食べているようなので会うだろうに・・・全然会ったことがないらしい。次男は最近学食が多いらしいが、それまでは自分で作って弁当を持っていっていたらしい・・・すごい、マメ、尊敬してしまう。
次男とは正月以来でした。前日自宅に京都の下宿から帰ってきた次男は、すぐに隣の祖父母宅に行きカレーを食べながら話し相手になっていました。翌月曜日に母から聞いたところによると、清水寺で買ってきたお土産を持っていったそうです。1人暮らしで家族を再認識したのか、知らない間に成長していてうれしくなりました。親はなくても子は育つと言いますが、親が邪魔しなければちゃんと育ちますね。誰と清水寺に行ったか少し気になりますが・・・男と行くわけないし、ましてやクラブで行くわけないでしょ。まあ学生時代にパートナーを見つけておかないと社会に出てはなかなかいい子にめぐり合わないし・・・同じ学校なら生活環境の似た子だろうから「外れ」は少ないでしょう。そういえば、私も同大学同学年カップルだ。結婚した姪の親つまり姉夫婦も同様です。
次男が高校のとき自宅につれてきた女の子は、家内に「負けた」と言わせる美人だったらしく、彼の彼女にはかなり期待している。私は今でも家内が一番と思っているので、家内から「負けたわ」を聞いたとき複雑な気分でした。結婚式では姉夫婦はあまり目立たなかったが、息子の結婚式では、お嫁さんの女友達がたくさん来るだろうから、いっぱい声をかけよう、いや、話をしよう。無害なおじさんだからきっと楽しい話が出来るだろう。(写真/上段左より、長男・家内・次男・私/下段旦那・姪)

2003/3/29
ナショナルチーム最終選考会も無事終わり、広報写真もHPにアップしました。今回は、写真をフォルダ毎圧縮して一気に送るサービスを始めました。結構好評で注文が即入りだしました。無料専用解凍ソフトをダウンロードする必要がありますが、簡単に短時間に大量の写真をメールでやり取りできるのでこれが一般的になったらいいのになと思います。
3/23息子のレース観戦に行くつもりでしたが、選考会に行ったのでレース結果が気になりネットで調べました。66艇中20位、学連艇では10位くらいかな?小巻はどうがったかな?14位。470のレースで初めて小巻に負けました。小巻にずっと勝っていたのが不思議でしたが、いよいよ小巻君の本領発揮というところでしょうか。小巻はOCS1本してこの順位で、これを10位でフィニッシュしていれば学生トップです。うーん、さすが小巻君。元兵庫jrとして2人ともがんばってほしいな。
明日は姪の結婚式です。そのために忠成が今日京都から帰ってきます。大学生になってからまた親子会話が復活してきたのでヨットの話が少し出来るでしょうか。
明日は、朝一番に兵庫オープンヨットレース開会式に行き、結婚式ではビデオ担当なのでハードな1日になりそうです。

2003/3/15
ナショナルチーム最終選考会事務局の仕事も一段落。選考会の成績作成作業の準備をしよう。といっても何度も使った自作ソフトなので選手の名前・セールナンバーを入れるくらいしかない。フィニッシュから携帯メールで着順を送ってもらって成績表を作成し現地にFAXする予定です。同時にHPに成績をアップします。ついでに希望者の携帯に着順を送ろう。登録を受け付けてまだ3日なのに携帯登録が25を超えた。海上のコーチに、そして地元で仕事をしながら朗報を待っている父母に、なかなかいい企画じゃないか。自画自賛。本番でトラぶらないように神様お願い。3/23選考会最終日は琵琶湖の同志社ウィークを観戦予定。選考会成績作成があるのでPCとプリンターを担いで行かなければいけない。はたして海上に出る余裕があるのだろうか?それより乗せてくれるボートがあるだろうか?梅野・小巻・豊田・中川・仲野君・西村君そして息子、みんな元気かな?

2003/2/23
和歌山コールドカップに参加。現地で選考会用のIDカード製作、陸上待機のお母さん方とおしゃべりしながら楽しかった。その後レース観戦。始めて半年の兵庫新人3名もちゃんとフィニッシュできた。10m/s近い風なのに立派です。工作君3/5トップ、選考会に次点で参加できないのは残念。絶対工作旋風が吹いたのに・・・

2003/1/7
和歌山合宿に参加しました。ルカ君が大きくなっているのにびっくりしました。ルカのダウンウインドがパワーアップしていて、そのサーフィングスタイルを写真に収めました。一緒にきたパオロ君12才?が20m/sの大波の中安定して走っているのでびっくり、3m/sの風ではぶっちぎりで速いそうです。

日記の始まり

ウェブマスター神谷良成のヨット日記です。私はこのような経歴で育ちました。関西学院中学部でサッカー部に入りましたが虫垂炎で辞め帰宅部をしていました。高等部進学で今からでも一流になれるあまり人のしていないスポーツをしようと、馬術部とヨット部に絞りました。まずヨット部に行くとそこには、伊丹のキリスト教会で一緒だった先輩が3人もおられました。特に門脇さんとは小学校・中学校サッカー部も一緒で、馬術部部室に行く機会さえなく入部しました。門脇先輩とは大学ヨット部でコンビを組ませていただき、ヨットレースを教えてもらいました。温和な性格・ヨット理論・スピードアップのコツなど最も影響の受けた先輩です。
高校ヨット部入部当時、ヨットが速くなるためには毎日『ヨットノート』をつけることと、速い人の本を読むことが大事だと聞き、ヨットの神様ポール・エルブストロームの本を買いました。初めに「スポーツマンにたばこはいけない。肺活量が落ちる」と健康な体のことが書いてありました。そこでタバコは一生吸わないことに決めました。
ヨットノートは練習やレースでヨットに乗るたびに、アドバイスを受けたことや感じたことを書きました。たった1冊のノートから始まりましたが、大学4年でモスクワオリンピック強化選手に選ばれるまでになれた元になりました。その後次男が小学生でヨットを始めることになって再びレーシングの世界に戻り、コーチ・親の立場からヨットノートをつけ始めました。次男の海外遠征を機会に兵庫県セーリング連盟ジュニアヨットクラブのホームページを立ち上げ、その選手達のがんばりのおかげで、ジュニアヨット団体の日本OP協会の理事になりました。広報委員長を拝命し『Optiわくわく通信』(バックナンバー)を週に2本のペースで1年間会員さん中心に発信しました。別府ジュニアの『あらっヨット』(お母さんから見た子供のヨット日記)に刺激され、ウェブ日記を書くことにしました。
もう30年以上ヨットの世界を楽しんでいます。現在出身の関西学院ヨット部のウェブマスターもしています。
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